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2015年に読んだベスト本・コミック5選

尊敬している友達があいついで2015年のベスト映画や本のレビューをしているので、私も面白かったものを紹介したいと思います。といっても忙しくてあまり読めなかった上に、歳のせいか半年以上前の記憶があいまいなので、最近読んだものが中心です(笑)

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九井諒子の短編集


『ダンジョン飯』が「このマンガがスゴイ」の1位をかざりブレイク中。星新一を思わせるショート・ショートの『ひきだしにテラリウム』『竜の学校は山の上』におさめられている短編はどれも完成度が高い。特に「スットコ訪問記」「代紺山の嫁探し」はスルメのような味わい深さが。「途上国にいってなつかしさを経験した!」系を現地の住民の視点から語る「まなざしの逆転」が見事な「スットコ訪問記」は8ページのショート。「代紺山の嫁探し」は日本昔話へのリスペクトが感じられます。他にも素晴らしい短編が多く、それだけでベストを構成したいほど。もう一つの短編『竜のかわいい七つの子』にある「金なし白禄」もすごい。泣ける。



おざわゆき『凍りの掌』

『あとかたの街』で知った人も多いのでは。記録文学的なすごみではこちら、シベリア抑留を経験した作者の父を描いた『凍りの掌』が上だとおもった。統計のグラフや数値に落とされがちな個人のライフストーリーに人間性を取りもどした作品だといえる。戦争のほとんどを他国の領土で戦ったにもかかわらず<日本人>が独特な被害者意識を戦後に残したのは、戦争末期に多くの若者がろくな訓練もされないまま戦地に放りこまれたからではなかったか。戦争目的と戦略が破たんした事実は、戦死・餓死が最後の年1945年に集中していることからもうかがえる。その多くが墓も遺灰も残せず、ただ数字として伝わるのみ。生きのこってもなお極限状態が容赦なく人間性をはぎ取る展開に息をのむ。時代の空気を真摯に再現しようとする点で小熊英二『生きて帰ってきた男』と対をなす作品。


ティモシー・スナイダー『赤い大公:ハプスブルク家と東欧の20世紀』

ハプスブルク家のプリンスの数奇な運命を追ったノンフィクション。王子のヴィルヘルムはナショナリズム、ナチズム、スターリニズム(共産主義)に複雑な共鳴と裏切りを演じながら「祖国」と定めたウクライナに賭ける。王子の運命を軸に、多様なヨーロッパが画一的な国民国家へと変貌し、全体主義に苦しみながら統合へと歩みよろうとする物語を見ることができる。ヨーロッパの王家はナショナリズムの勃興以前から統治をおこない、国境を越えて婚姻関係を結ぶコスモポリタンな人々であったが、その精神がある意味でEUにつながっているのがおもしろい。王子がイケメンですごくハレンチで、ぶっとんだ戦間期のパリの描写もすばらしい。スナイダー教授の近著『ブラッドランド』も最近翻訳されている。


アントニー・ビーヴァー『第二次世界大戦 1939-1945』

世界大戦の全貌を詳細に記したために日本は強くて解放者で偉かったとするネトウヨからの評判が悪い(笑)。戦記絵巻や英雄譚ではなく、ガス室と戦地でのエスニック・クレンジング、レイプ、一般市民への計画的な餓死への記述があるトータルな作品。大英帝国の政策により、植民地時代のインドが戦火ではなく飢餓によって数百万の死者を出したことを初めて知った。翻訳があまりよくないのはさておき、扱っている内容があまりにもグロテスクなのでオススメはできないが、今なお論争を巻き起こしている大戦がどのように推移したのかを知ることができる好著。アジアや太平洋での戦争への描写は完全とは言い難く、今後の研究に期待したい。


市川春子『宝石の国』

SFなのかバトルものなのか。不死の宝石たちが正体不明の月人(仏教的なモチーフ)と戦う話。人を頼ることへの躊躇、変わることの難しさ、喪失のしんどさ等、関係性の妙が詰まっている。絵がとにかく美しいんですね。読んでいるとキュンとします。必読です。

他にもたくさんあるのだけど、またの機会に。

***

NYRB

GuardianもいいけどThe New York Review of Books もいい。マイケル・イグナティエフの論考がよかった。

①ISISの目標は(西欧)世界とイスラームの分断であり、
②ヨーロッパにわたる過程で3,329人のシリア難民が地中海で命を落としたことをパリ攻撃は忘れさせてしまった。
また③シリア難民を見捨て国境を閉ざすのなら、その恨みを忘れない数百万人の人間が生まれる。ホロコーストに匹敵する暴挙であり、また対ISIS戦略としても妥当ではないとしている。

http://www.nybooks.com/articles/archives/2015/dec/17/refugees-and-new-war/

イグナティエフはカナダの政治家であり政治学者。イラク戦争を支持した「リベラルなタカ派」であるが、今回は武力以外の妥当な政策を提案する。「難民受け入れはチャリティーではなく、慎重な判断である」と。難民=テロリスト予備軍とする印象操作がされるなか、「テロに屈さない」ことは難民を強力に支援し、受け入れ続けることだとする。日本もその例外ではない。

***

Je suis Paris?

"Beirut yesterday; Paris today. Yemen and Syria everyday."@Adammbaron
(「昨日はベイルート。今日はパリ。イエメンやシリアでは毎日だ」)

このツイートにあるように、大規模なテロがレバノンのベイルートで起こり、イエメンやシリアで毎日のように起こっている。共感の限界や、命の重さが人種や国籍によって異なってしまうことへの違和感がつきまとう。プロフィールにフランス国旗が広まるなか、イスラエル・パレスチナ学生会議で先輩の安田さんがあえてレバノンの国旗を選択していたのがよかった。

社会学にはラべリング・セオリーというものがあって、「おまえは不良だ」とレッテルを貼られた者が周囲からそのように扱われ、本当に不良になってしまう事例を指摘している。テロ行為ゆえに社会から不当に扱われるのではなく、「おまえはよそ者だ、負け犬だ、犯罪者だ」という蔑視からテロが生まれるのだという思考の転換が必要ではないのか。結局は社会的包摂の問題にゆきつくのだ。

9/11以前の1998年に上映されたデンゼル・ワシントン主演の『マーシャル・ロー』では、FBIで長年にわたりアメリカに貢献してきたアラブ系男性の家族まで、テロを未然に防ぐため不当に収監される様子を描いている。同時多発テロ以前のアメリカにはこういう想像力がまだあったのだ。でも恐怖は思考を後退させてしまった。

テロへのリアクションとしての連帯と、そこからこぼれ落ちた者はどうするのだろうという疑問が9/11のときのアメリカと被る。

***

テオ・アンゲロプロス

ギリシャはイスラエルと同様、近世ヨーロッパを背負ってしまう記号だった。
現代ギリシャは古代ギリシャと隔絶されながら、それへの過剰な思いの受け皿になろうと葛藤してきた。ゆえに、記号としてのギリシャと現実との摩擦を見すえたものが現代のギリシャなのだ。そうでなければテオ・アンゲロプロスの「旅芸人の記録」から「シテール島への船出」、そして、すでに現在のEUのなかでの翻弄されるギリシャを25年前の冷戦の終結以前に予言したような「霧の中の風景」という一連の作品はあり得ない。

「旅芸人の記録」の中でナチズムと内戦に翻弄される「ギリシャ悲劇」は、もはや演じる場所もない空虚な古典かもしれない。
「シテール島」だって、共産党パルチザンとしてナチスから内戦までを戦った老いたコミュニストの帰郷の物語。これらの作品には現代性は見られないように思える。でも違う。

アンゲロプロスのどの映画にも、澄み切った青いエーゲ海も壮大なギリシャの遺跡も出てこない。
そこにあるのはいつも雨模様の荒れた山々、そして内戦の傷跡だ。
まるでそれこそがヨーロッパからはがれたギリシャなんだとでも言うように。

同時に言えることは、旅芸人の記録では、まだ一座という集団劇だったけど、シテール島では家族に取り残された老人だったこと。アンゲロプロスのギリシャ観を教えてくれる。
霧の中では2人の兄妹。集団の中にはギリシャというものをもう見つけれらない。ドイツに向かう兄弟は、どこかにたどり着くのか?

どれも暗い映画だが、象徴やメタファーに満ちていて、それは奇妙に人間的だ。
滑稽さを演じるのではなくて、真面目な自分の中に滑稽さを見つめて、自分で微笑んでしまうようなことが、人間的なのだと気づかせてくれる。

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