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『駈込み女と駆出し男』

『駈込み女と駆出し男』が本当に良い映画だ。

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女性側からの離縁の権利がなかった時代、駆け込み寺は例外的にその役割を果たしたとされる。歴史学では「アジール」と言われ、聖なる領域(宗教施設)がその空間となった事例が多い。鎌倉の東慶寺が救済した女性の数は2000名だという。余談だが、平安時代から鎌倉時代にかけて、日本は多くの「女傑」を輩出している。源氏や平家の世に、戦士として、あるいは執政者として活躍した者は多い。鎌倉幕府の北条政子はその代表だろう。

『オール・アバウト・マイ・マザー』を観たとき、いろんな可能性の「女性」が出てきて感動したのだが、『駈込み女と駆出し男』にはそれに近いものを感じた。しかも時代劇という男女役割分業神話生産センターからフェミニズムな作品がつくられたことの意味たるや。戸田恵梨香がきれいすぎることに少しだけ違和感を持つ。

DVをおこなう人間に顕著な意識として「私はダメな人間だ=見てくれ私はスゴイだろう」というものがある。作品を通じ、危険なほどこの心理を理解をして映像におさめていて、大泉洋の洒脱さがなければ観つづけることを躊躇したかもしれない。ポップさとシリアスがよく共存していた。

「DV被害」にあったじょごの言葉数が極端に少なく、だんだんと豊かになっていく様に驚く。傷ついた時、または傷ついたことを明確に自覚できない時、人は言葉を失うものだ。自らの言語を持ち、心の傷を含めた秘密をさらけだす事が治癒になる。だが長い時間と環境がいる。

原作者である井上ひさしはDV男性だったといわれる。その事実が不気味なほどに作品のリアリティを支えている。

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1/26 追記:なぜこんなにもフェミニズムな『駈込み女と駆出し男』の主演が男性の大泉洋なのか。あるブログに答えを見つけた。大泉洋が演じる男性は「けっして暴力を振るわず、暴言を吐かず、女たちへの敬意を忘れない」。それがとても格好いい。「男が悪い=フェミニズム=女は善」ではない作品であるための重要な要素なのだ。

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ぬくもり

孤独は痛みに似た感覚だと知ったのはいつだったかしら。友達の多い人が心底うらやましい。大学に入って、そんな私も友情や恋愛のなんたるかを少しだけ知ることができた。残るのはいつもきりきりとした痛みを放つ後悔だ。後悔という感情をこじらせて何年も雑巾のようにずっとしぼっていると、自分がそこにわずかなぬくもりを感じていて、その心地よさに少しだけホッとしていることに気づく。

「長いあいだ一人でものを考えていると、結局のところ一人ぶんの考え方しかできなくなるんだということが、ぼくにもわかってきた。」

ある作家が書いていたことが私にもわかった気がする。

「あなたにとって私はどんな存在(だった)でしょうか」

フィードバックのないこの問いを私は今でも大切にしている。

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