A Canary for One

贈り物のカナリア
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レビュー

『ズートピア』

ディズニーはすごく成熟した作品を世に放つようになった。アナ雪やズートピアでは恋愛を封じ、運命の男の子や女の子を登場させずに若者の成長を描く。はからずもキツネ差別に加担する『ズートピア』の主人公だが、作品は差異の尊重を力強く訴える。優れて政治的な作品だ。
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『ボーダーライン』
'麻薬戦争'映画。米/メキシコ国境を舞台に超法規的な作戦をタフに描く。アクション万歳な映画ではなく、ひたすら暗い。初めから最後までメキシコのある家族を映すのがいい。ただそれでもメキシコ人の扱いは不当におもえる。

NAFTA成立により北米自由市場が生まれてから20年、北米になりたかったメキシコは今、麻薬戦争で7万人の死者を出している。トランプの「壁」建設にたいするメキシコの思いは「大きな鏡を壁のアメリカ側につけて、アメリカが自身の姿をみれますように」だろう。

"Fuck a wall. America should build a giant mirror to look at itself" (@danreilly11)

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『シン・ゴジラ』
見事だったのはゴジラ以外すべてリアルだったこと。ゴジラが果たすフィクションがあまりにノンフィクションなのだ。川を遡上し、街をのみこむ最初の形態が311の津波なら、最終形態は「歩く福島第一原発」。メルトダウンした震災3日目以降のワードが急に増えていくのが印象的だ。

3/11以降でなければつくれない作品がようやく生まれたようにおもう。ひとつ残念なのは大衆の不在さ。主役は官僚たちで、逃げまどう人々までもが少ない。肩書きのない人々こそポスト3/11映画にふさわしいのだが。


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『私の少女』

チョン・ジュリ『私の少女』をみた。DVやマイノリティへの偏見、外国人の奴隷労働や田舎の閉鎖性など、不条理さを舞台にしているが、男性支配に対する女性の連帯(シスターフッド)の映画のようにも思えるし、エンターテイメントな再生の物語だとおもう。

悪の描き方がとてもいい。DVというわかりやすい悪と、少女が行使するグレーの悪が警察による正義と鮮やかな対象をつくる。善意と悪意は限りなく同じものとして描かれる。

『私の少女』は効果的に「車」を使っていた。生活物資の運搬にも、逃避するたった一人の身体にも、移動する家族(家)にもなる。車はすごい発明だ。

以下はネタバレなのだが、ペ・ドゥナが演じる女性は元カノに「傷ついたら一人で逃げる」と言われている。少女のドヒは「連れて行って」と頼んだ母に捨てられている。ふたりの傷が最後のシーンで混ざりあうのが流れるように美しくて、涙がこぼれた。

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『駈込み女と駆出し男』

『駈込み女と駆出し男』が本当に良い映画だ。

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女性側からの離縁の権利がなかった時代、駆け込み寺は例外的にその役割を果たしたとされる。歴史学では「アジール」と言われ、聖なる領域(宗教施設)がその空間となった事例が多い。鎌倉の東慶寺が救済した女性の数は2000名だという。余談だが、平安時代から鎌倉時代にかけて、日本は多くの「女傑」を輩出している。源氏や平家の世に、戦士として、あるいは執政者として活躍した者は多い。鎌倉幕府の北条政子はその代表だろう。

『オール・アバウト・マイ・マザー』を観たとき、いろんな可能性の「女性」が出てきて感動したのだが、『駈込み女と駆出し男』にはそれに近いものを感じた。しかも時代劇という男女役割分業神話生産センターからフェミニズムな作品がつくられたことの意味たるや。戸田恵梨香がきれいすぎることに少しだけ違和感を持つ。

DVをおこなう人間に顕著な意識として「私はダメな人間だ=見てくれ私はスゴイだろう」というものがある。作品を通じ、危険なほどこの心理を理解をして映像におさめていて、大泉洋の洒脱さがなければ観つづけることを躊躇したかもしれない。ポップさとシリアスがよく共存していた。

「DV被害」にあったじょごの言葉数が極端に少なく、だんだんと豊かになっていく様に驚く。傷ついた時、または傷ついたことを明確に自覚できない時、人は言葉を失うものだ。自らの言語を持ち、心の傷を含めた秘密をさらけだす事が治癒になる。だが長い時間と環境がいる。

原作者である井上ひさしはDV男性だったといわれる。その事実が不気味なほどに作品のリアリティを支えている。

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1/26 追記:なぜこんなにもフェミニズムな『駈込み女と駆出し男』の主演が男性の大泉洋なのか。あるブログに答えを見つけた。大泉洋が演じる男性は「けっして暴力を振るわず、暴言を吐かず、女たちへの敬意を忘れない」。それがとても格好いい。「男が悪い=フェミニズム=女は善」ではない作品であるための重要な要素なのだ。

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